名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.478 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第5章 -雑多と充溢- ①〜

2017.07.20  【486日連続投稿】

 

200ページ程読み進めて、初めて障害がある方(本書では「按摩さん」として記載)が江戸時代にどのように生きていたのかということが記されていた。

 

 在りし日のこの国に文明について考えるとき、われわれは、それがいかに雑多で細分化された生き場所ないしかくれ家を提供する文明であったかということを、つねに念頭に置かなければならない。生態学のニッチという概念を採用するなら、それは棲み分けるニッチの多様豊富という点で際立った文明であった。羅字屋は羅字の掃除とり替えという、特殊に限定された専有された職分によって生きていくことができた。障害者は施設に収容されたり、専門家のケアの対象とならずに自力で生きてゆくことができた。アーノルドは言う。「日本の街路でもっともふつうに見かける人物のひとつは按摩さんだ、昼間は彼がゆっくりとーと言うのは彼が完全に目が見えないのだー群衆の中を通りすぎてゆくのを見かける。手にした竹の杖を頼りとし、またそれで人びとび道を明けるように警告する。・・・夜は見かけるというよりも、彼の通るのが聞こえる。たずさえている小さな葦の笛で千鳥の鳴き声にいくらか似ているメランコリックな音を吹き鳴らす。・・・学理に従ったマッサージを行う者として、彼の職業は日本の目に見えぬ男女の大きな収入源になっている。そういうことがなければ、彼らは家族のお荷物になっていただろうが、日本ではちゃんと家族を養っており、お金を溜めて、本来の職業のほかに金貸しをやっている場合もしばしばだ。目に見えぬ按摩は車馬の交通がはげしいところでは存在しえないだろう。彼の物悲しい笛の音なんて、蹄や車輪の咆哮にかき消されてしまうし、彼自身何百回となく轢かれることになるだろう。だけど東京では、彼が用心すべきものとては人力車のほかにない。そいつは物音はたてないし、子どもとか按摩さんと衝突しないように細心の注意を払ってくれるのだ」。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.210.211

 

おわり。