2017.07.22 【488日連続投稿】
スイスの遣日使節団としてアンベールが日本に着いたのは1863年4月、紆余曲折を経て修好通商条約をやっと結べたのが翌64年2月、その十ヶ月間の見聞のなかで、彼もやはり、この国が「幾世紀もの間、質素であると同時に安易な生活の魅力うぃ満喫してきた」ことに感銘を受けずにはいられなかった。その感銘は彼を回想に誘った。「私は幼年時代の終わりごろに、若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせにさらに金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていたのを見ている。労働しれ自体が、純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分のつくるものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどのくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなくーそのようなことはほとんど気にもとめていないーかなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるもである。疲れがはなはだしくなると仕事場を出て、住家の周りか、どこか楽しい所へ友人と出かけて行って、勝手気儘に休息をとるのであった」。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.236
おわり。