名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.484 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第6章 -労働と身体-⑤〜

2017.07.27  【493日連続投稿】

 

 スエソンは日本人のような容貌は好ましいとはとてもいえないが、そのいやな印象は、「栗色に輝く眼から伝わってくる知性、顔の表情全体からにじみ出てくる善良さと陽気さに接して思わず抱いてしまう共感によって、たちまちのうちに吹きとばされてそまう」と感じた。彼の目にも上層下層の差は歴然たるものがあった。「下層の労働者階級はがっしり逞しい体格をしているが、力仕事をして筋肉を発達させることのない上層階級の男はやせていて、往々にして貧弱である」。上流の者たちは「日本的醜悪の顕著なる特質をこれ見よがしに備えているのだが常だったが」、そのかわり手足は整っていて、それは注意をひくような動作を好んですることに彼は気づいた。メーチニコフは日本人の外貌には「豊かな多様性」があり、そのために観察者はこれまで矛盾した記述を残して来たのだと言う。「たれさがった耳と低い鼻、巨大な口をしたほぼ真四角の顔があるかと思うと、すぐ隣にはロンバルディアの美女やレオナルド・ダ・ヴィンチのマドンナを思わせる裁細優雅な瓜ざね顔(主として女性)がいて、見るものを驚かす。・・・くぼんだ胸とややつき出た腹、湾曲した細い足の都市住民とならんで、背こそ低いがじつは均斉のとれた平民を見かけることもある。彼らの力あふれる四肢は、ブロンズ彫刻のようで、そのいなせな姿は、セビリアの民主的街区の伊達男をほうふつさせたものである」。

 身体がある社会の特質とそれによって構造化された精神の表現であるとすれば、欧米人の眼に当時の別所や人力車夫や船頭や召使いの身体が、美しく生き生きとしたものに映ったという事が古き日本の社会で、ある意味で自由で自主的な特質をもった労働に従事していたのだという、従来の日本史学からすれば許すべからざる異端的仮説を成立可能ならしめるものであるかも知れない。注意しておきたいのは、日本労働大衆についてのこういう意外な記述がみられるのは、幕末から明治初期の記録に限られることだ。だとすると、江戸時代の労働大衆は自由な身体の持主だったのである。なぜ彼らの身体は自由で生き生きとありえたのだろうか。われわれの考察はおのずと当時の身分社会の構造へ導かれる。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』  p.256〜258

 

おわり。