2017.08.04 【501日連続投稿】
これは明治中期になってからのことだが、アリス・ベーコンはこう言っている。「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかで良い地位を占めているように思えます」。召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、アリスは「はじめのうちたいそう癪にさわ」った。しかし何度も経験するうちに、召使の方が正しいのだと彼女は悟ったのである。
彼女は主著”Japanese Girls and Women”においてこの問題をもっとくわしく論じている。「外国人にとって家庭使用人の地位は、日本に到着したのそ日から、初めのうちはたいへん当惑の源となる。使える家族に対する彼らの関係は一種の自由がある。その自由はアメリカでならば無礼で独尊的な振る舞いと見なされるし、多くの場合、命令に対する直接の不服従の形をとるように思われる。・・・・・家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、自分が最善と思うやり方で行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。彼は自分の考えに従ってことを運ぶのでなければならぬ。もし主人の命令に納得がいかないならば、その命令は実行されない。日本での家政はつましいアメリカの主婦にとってしばしば絶望の種となる。というのは彼女は自分の国では、自分が所帯の仕事のあらゆる細部まで支配するかしらであって、使用人には手を使う機会的労働だけしか与えないという状態に慣れているからだ。彼女はまず、彼女の東洋の使用人に、彼女が故国でし慣れているやり方で、こんな風にするのですよと教えようとする。だが使用人が彼女の教えたとおりにする見こみは百にひとつしかない。ほかの九十九の場合、彼は期待どおりの結果は成し遂げるけれど、そのやりかたはアメリカの主婦が慣れているのとは全く異なっている。・・・・・使用人は自分のすることに責任をもとうとしており、たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだと悟ったとき、彼女はやがて、彼女自身と彼女の利害を保護し思慮深く見まもろうとするする彼らに、自分をゆだねようという気になる。・・・・・外国人との接触によって日本人の従者が、われわれが召使の標準的態度とみなす態度、つまり黙って主人に従う態度を身につけている条約港においてさえ、彼らは自分で物事を判断する権利を放棄していないし、もし忠実で正直であるならば、仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、雇い主のために最善を計ろうとするのだ」。
おわり。