名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.500 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第7章-自由と身分-⑤〜

2017.08.12   【509日連続投稿】

 

 日本人の間にはっきりと認められる、表情が生き生きしていることと、容貌がいろいろと違っているのとは、他のアジアの諸民族よりもずっと自発的で、独創的で、自由な知的発達の結果であるように思われる」というアンベール、「卑屈でもなく我を張ってもいない態度からわかるように、日本のあらゆる階層が個人的な独立と自由を享受していること」が東京の街頭の魅力だというバード、「日本人は男にふさわしく物おじせず背筋をのばした振舞いを見せ、相手の顔を直視し、自分を誰にも劣らぬものとみなす。もちろん役人は大いにそうだし、下層の者だってたしょうはそうだ」というジェフソン=エルマースト、「下層の人びtでさえ、他の東洋諸国で見たことのない自恃の念をもっている」というホームズ、「日本の駕籠かきは態度においていくらか独立不覊で、外国人をたかりのえじきとみなすという不愉快な習慣を身につけつつある」というスミス主教ー幕末から明治初期の日本人の独立心に富んだ態度・相貌についての、このような多様な証言を黙殺したりするのは、およそ史家のよくなしうるところではあるまい。

 つまり欧米人たちは江戸期の日本に、思いもかけぬ平等な社会と自立的な人びとを見出したのだった。実は、「専制」という彼らの先入観にこそ問題があったのである。専制という場合彼らの念頭にあったのは、かの悪名高い東洋的デスポティズムだったに間違いないけれど、このような概念ないしイメージ自体、彼らが東洋に対して押しつけたオリエンタリズムにほかならぬ上に、江戸期の政治体制ほどこの概念に遠いものはなかった。彼らが見たのは、武装した支配者と非武装の不支配者とに区分されながら、その実、支配形態はきわめて穏和で、被支配者の生活領域が彼らの自由にゆだねられているような社会、富める者と貧しき者との社会的懸隔が小さく、身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別として不満の源泉となることのないような、親和間に貫ぬかれた文明だったのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.289~290

 

第7章「自由と身分」は、第1章から散々証言として出ていた「誰もが皆幸せそうに満足している」という言葉が少し紐解かれた気がしている。

当時の欧米人のように現代人も「専制的な政治が行われた」と聞けば、どうしても差別が起こったり、階級的な世の中は下の者が生きずらいのではないかという幻想を抱いてしまう傾向にあると思うが、それは私たちの幻想に過ぎないのかもしれない。

問題は、制度的なところに潜んでいるのではなく、人々の「心」なんだろう。しかし、「心」と言っても、「心」とはなんだろうか。

吉本隆明さんは「心は自分と外界の中間にある」(私がなんとなく覚えている言葉でしかないことはご了承いただきたい)とおっしゃていたみたいだ。それは、人々の生き方であり、暮らしであり、様々な繋がりがあった上で、存在していたものだということは確かなんだと思う。

過去を知るということは、今そして未来を考えることになるんだと実感しています。

 

おわり。