2017.08.15 【512日連続投稿】
そこでアリスは論ずる。「旅行者が夏、日本の田舎を通りすぎて、道筋の村々から溢れ出し、人力車がとまるたびにそれを取り囲む半裸の男女と子どもたちを目にする時、彼は、いったいこの国にはほんとうの文明が存在するのか、この半裸の者どもは文明人というより野蛮人ではないのかと、疑い呆れることがある。しかし、いたるところに上質な旅館があり、そこでは便所や食卓などのあらゆる設備がきわめて清潔で、サービスも丁寧でゆき届き、契約通りに仕事が進んで行われることを知った時、あるいはまた、外国人が休憩のために村の宿屋に立ち寄ると、光も空気も遮ってしまうほど大勢押しかけて、口を開けて見物している人びとにさえも、最も丁寧で快い行儀作法を見出す時、この国民の生活の特殊な面について以前くだした評価を訂正し、日本には、われわれ自身の文明とは多くの重要な点で異なってはいるが、たしかに高いタイプの文明が存在するのだと結論しないわけにはいかない、・・・日本人の尺度によると、たんに健康や清潔のためとか、せねばならぬ仕事をするのに便利だからというので、たまたまからだを露出するのは、まったく礼儀にそむかないし、許されもすることなのだ。だが、どんなにちょっぴりであろうと、まったく礼儀にそむかないし、許されもすることなのだ。だが、どんなにちょっぴりであろうと、見せつけるためにだけからだを露出するのは、まったくもって不謹慎なのである。前者の例としては、解放された浴室や裸の労働者、じめじめした季節に着物をまくり上げて下肢をむき出しにすること、夏に田舎の子どもがまったく裸でいること、暑い季節には大人さえも、家や周りや田園でちょっぴりしか衣服を身につけないのが必要とされていることがあげられる。後者の例としては、西洋の衣装がからだは完全に覆っているものの、腰から上の体型のあらゆる細部をあらわにしており、きれいな体型を見せつけようとしていることに、多くの日本女性が嫌悪を感じていることを申しあげておきたい。顎や二の腕を衆目にさらしている舞踏室の衣装について言うならば、日本女性は他人の面前で落ち着き払って入浴すはするけれども、多くの尊敬すべき欧米人が公衆の前に、そんなにもぶしつけななりをして現れると考えただけでも、羞恥の念にあえぐのである。われわれが日本人という人種には品性のセンスが欠けているとか、日本の女性は女らしい羞恥の本能をまったく欠いているとか結論づけるならば、それは実に性急な判断というものだ」。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.311~312
おわり。