名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日ののつれづれ no.504 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第8章-裸体と性-④〜

2017.08.16  【513日連続投稿】

 

 当時の日本人にとって、男女とは相違に惚れ合うものだった。つまり両者の関係を規定するのは性的結合だった。むろん性的結合は相互の情愛を生み、家庭的義務を生じさせた。夫婦関係は家族的結合の基軸であるから、「言葉の高貴な意味における愛」などという、いつまで永続可能かわからぬような観念にその保証を求めるわけにはいかなかった。様々な葛藤に満ちた夫婦の絆を保つのは、人情にもとづく妥協と許しあいだったが、その情愛を保証するものこそ性生活だったのである。当時の日本人は異性間の関係をそうわきまえる点で、徹底した下世話なリアリストだった。だから結婚も性も、彼らにとっては自然な人情にもとづく気楽で気易いものとなった。性は男女の和合を保証するよきもの、ほがらかのものであり、従って羞じるには及ばないものだった。「弁慶や小町は馬鹿だなァ嬶ァ」という有名なバレ句に見るように、男女の営みはこの世の一番の楽しみとされていた。そしてその営みは一方で、おおらかな笑いを誘うものであった。徳川期の春本は、性を男女和合と笑いという側面でとらえきっている。化政期には怪奇趣味や残酷趣味が加わるけれども、それも性自体のおそろしさ、その深淵のはらむ奇怪さを意識したものとはいえない。従ってサディズムマゾヒズムの要素も乏しい。刺激を求めて怪奇な趣向をこらそうとも、本質的にあっけらかんと明るい性意識がその根底にある。オリファントが彼らを「いくらか不真面目で享楽的な民族」と感じたのは、一理も二里もあるというべきだった。

 だが、西欧流の高貴な愛の観念と徳川期日本人の性意識は、いいかえるとハリス的な愛のリゴリズムと幕史のシニズムすれすれのリアリズムは、相打ちみたいなところがあって、どちらが思想的に優位であるか判定することはできない。この問題は伊藤整が名論文『近代日本における「愛」の虚偽』で論じたところで、いまの深入りを避けたいが、性を精神的な憧れや愛に昇華させる志向が、徳川期の社会にまったくといっていいほど欠落していたことが、日本人の性に対する態度になにか野卑で低俗な印象を結びさせているという事実には、やはり目をつぶるわけにはいかない。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.321~322

 

おわり。