2017.08.21 【518日連続投稿】
数ある観察者のうち日本における女性の地位に関してもっとも包括的な考察を行なったのはアリス・ベーコンである。彼女によれば、日本の女は幸せな少女時代を送る。ただしそれは両親や兄たちのペットとしてである。しかも彼女らは子どものうちから、悲しみや怒りをかくして常にきもちよい態度をとることで、周りの人びとを楽しくさせるという自己抑制のマナーを徹底して仕込まれる、だが彼女のしあわせは結婚とともに終わる。日本ではすべての女性は結婚すべきものなのである。彼女らの結婚生活が不幸なのは、夫と対等ではなく彼の筆頭召使に過ぎないからであるばかりか、夫の属する家へ入らねばなあらぬからである。彼女は生まれ育った家から新しい家へ移籍する、その新しい夫の両親がいる。とくに結婚生活の初期を不幸にする姑がいる。姑は彼女に家庭生活のあらゆる苦労をゆずりながら、家政の実験は手放さない。両親とくに姑のテストに合格しないなら、夫からどんなに愛されていても離婚の運命が待っている、離婚は日本では異常な確率を示しているが、それは結婚が両性の精神的結合ではなく、家の支配者である両親と夫への従属的奉仕の採用とみなされているからだ。離婚された女は悲惨である。子どもは夫の家に奪われ、帰る先の実家では、肩身の狭い境遇が待っている、そしてまた、日本には妻妾同居の風習がある。妻は真かけを歓迎せなばならないのだ。だから日本女性の美徳は徹底した忍従であり自己放棄である。もっともそのような自己犠牲の習慣から、日本女性の静かで威厳のある振舞いと、いかなる事態にも動じない自己抑制の魅力が生まれているのだが。
以上のベーコンの叙述が、明治の上流家庭における結婚生活、とくに家観念の強い華族、士族出身の高級官吏、大商人や大地主の家庭におけるそれ、そかもその絵に描いたような理念型であることはいうまでもあるまい。彼女の東京での交際範囲は、華族女学校教師という地位からしても当然、明治の上流家庭に限られていた。そのような理念が抽出される現実に限ってみても、そこには様ざまな異変があったに違いないが、何よりもまず、そういう理念型を適用しうる家庭が当時の人口のどれだけを占めていたかが問題だろう。それはたかだか一割にも及ばない日本人の生活現実だった。それ以外の大多数の日本人は、むろん男尊女卑のイデオロギーの影響を受けながら、そのような理念型とはほとんど縁のない結婚生活をいとなんでいた。だからこそベーコンは、農民初めとする結婚生活の、よりのびやかで幸福な構図を補足せねばならなかったのである。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.361~262
おわり。