名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.520 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第10章 -子どもの楽園-⑥〜

2017.09.02  【530日連続投稿】

 

 ルースが同国人よりも、日本人といっしょにいたがった理由はあきらかだ。日本人の子どもに注ぐ強い愛情は、彼女にとっても初めて知る蜜の味だったのである。彼女の同国人は、そういう手放しの愛情は子どもをスポイルするものだと考えていた。バードはこう書き加えている。「日本人は子どもに真の情愛を持っている。だが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいすぎるのはよろしくない。彼らは子どもの倫理観をだめにするし、嘘をつくことを教える」。

 日本人はルースに、いったいどんな同等的悪習とどんなう嘘を教えたというのか。エヴァの子守り婆さんは。まさか彼女に喫煙を仕込んだのではあるまいが、少なくともそれを助長した形跡はある。日本人の大人は子どもを自分たちの仲間に加え、自分たちに許される程度の冗談や嘘や喫煙や飲酒等のたのしみのおこぼれを、子どもに振舞うことをけっして罪悪とは考えなていなかった。すなわち当時の日本人には、大人の不純な世界から隔離すべき”純真な子ども”という観念は、まだ知られていなかったのだ。むろんそういう観念は西洋近代の産物である。バードは偏見の少ないすぐれた観察者であるけれども、彼女の使用する「道徳的堕落」とか「嘘」という用語には、西洋近代において成立する神経症オブセッションが色濃くまつわっている。ちなみに、ルースの父親ファイソンは1874年に来日し、新潟で7年間伝道に従事した英国人宣教師である。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.417

 

おわり。