2017.09.03 【531日連続投稿】
欧米人たちに日本を楽園と感じさせた要因のひとつが、その恵まれた自然の美しさだったことはいうまでもない。彼らは口を揃えてその美しさを讃美せずにはおれなかった。
彼らの多くはまず長崎に寄港したが、その美しさはすぐに彼らの間で語り草になった。プロシャの輸送艦エルベの艦長としてこの港に入ったとき、ヴェルナーは「すでに港の美しさについて多くのことを聞いていた」。しかし「期待は現実によっってまったく凌駕された」。リオ・デ・ジャネイロ、リスボン、コンスタンチノープルは世界の三大美港とされているが、「長崎の港口はこれら三港のすべてにまさっている」というのが彼の実感だった。ポンペは一八五七年初めて長崎湾の風景を見たときのことを、「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるものかと見とれてうっとりしたほどであった」と記している。彼はオランダ海軍の教育隊員としてこの地で任務につかねばならないのだったが、「本当にここで二、三年生活することになっても悔いるところはない」と感じた。リンダウは「私はヨーロッパ人で、長崎の町の素晴らしい位置とその全景の魅力的な美しさに心打たれることなく長崎に上陸したものを知らない」と言っている。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.428
おわり。