名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.528 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第12章-生類とコスモス-① 〜

2017.09.10  【538日連続投稿】

 

 日本人は牡馬を去勢する技術を知らなかった。知らぬというより、そうしようとしなかったというべきか。古き日本にも駅逓の制があって、馬を集団的に統御する必要がなかったわけではない。それなのに、去勢をはじめとする統御の技法がほとんど開発されなかったのには、何か理由がなくてはならぬ。それはやはり彼らが、馬を自分たちの友あるいは仲間と認め、人間の仲間に対してもどうであったように、彼らが欲しないことを己の利便のために強制するのをきらったからであろう。バードは馬に馬勒をつけさせようとして、人びとの強い抵抗に出会った。彼らは「どんな馬だって、食べるときと噛みつくとき以外は口を決して開けませんよ」と言って、馬勒をつけるのは不可能だと主張した。バードは「銜を馬の歯にぴったり押しつけると、馬は自分から口を開けるものだ」と説明し、実際にそうやって見せて、彼らはやっと納得したのである。つまり当時の馬を飼っていた農村の日本人は、銜をかませるなどというのは馬の本性に反することで、本性に反することは強制できないと考えていたことになる。去勢などは、馬の本性すなわち自然にもっともであっただろう。彼らは馬に人間のための役に立って欲しいと思っていたに違いないが、さりとて、そのために馬に何をしてもいいとは考えていなかった。彼らは馬にも幸せであって欲しかったのだ。人間の利益と馬の幸福の調和点が、外国人から見ればいちじるしく不完全な、日本的な馬の扱いとなって表れていたのである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.497

 

おわり。