名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.530 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第12章 -生類とコスモス-③〜

2017.09.12  【540日連続投稿】

 

 バードは山形県で馬の代わりに美しい牝牛の背中に乗ったことがあった。彼女は新鮮な牛乳が手に入るとよろこんだが、彼女の言葉を聞くと人びとはみな笑った。通訳の伊藤の説明によると彼らは、乳というのは子牛が飲むもので、人間が飲むのは「とても胸の悪くなるような」行為だと思っているとのことだった。つまり彼らにとって、人間か牛乳を飲むのは子牛のものを盗みとる行為に思えたのだ。いやそれだけではない。獣の乳というものに、彼らは禁忌を触発する一種の肉感性を感じてもいたのだろう。

 〜中略〜

 当時の日本人からすれば、農耕にせよ、運搬にせよ、牛は十分に働いていた。家族全員がそうしているように、牛も一員として労働させなばならぬのに、その上、本来は子牛のものたるべき乳まで収奪しようというのは、いささか没義道にすぎるというものだった。乳牛という観念は、この国ではまだ成立していなかった。

 ホジソンが箱館で、英国人従者に牛の乳をしぼらせたときは、二人の役人が付きっきりで制止せねばならぬほどの見物人が集まった。一パイント(約四七〇ミリリットル)ほどの乳がしぼり出されたとき、彼らはどよめいた。「これまでこの有用な必需品を彼らが発見していなかったのは明白であった」。ホジソンによれば、あとでは寺の和尚もお茶に牛乳を入れて飲むようになったそうだが、見物人たちがどよめいたのは、こういう利用方法があったのかというおどろきもさることながら、一方では、そこまでやるのかという、牛に対する同情の思いが動いたからではんかったか。徳川期の日本人にとって馬、牛、鶏といった家畜は、たしかに人間のために役立つからこそ飼うに値したのだが、彼らが野生を捨てて人間と苦楽をともにしてくれることを思えば、あだやおろそかに扱ってはならぬ大事な人間の仲間だったのだ。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.501~502

 

おわり。