2017.09.13 【541日連続投稿】
彼らは、人間を特別に崇高視したり尊重したりすることを知らなかった。つまり彼らにとって、”ヒューマニズム”はまだ発見されていなかった。オールコックが「社会の連帯ということがいかに大切かということを忘れる恐れのある人は、日本にきて住めばよい。ここでは、そういうことがまったく知られていない」と言うのはそのためである。彼は日本人の虚言癖に憤慨してこう書いているのだが、当時の日本では、虚言をいちいち神経症的に摘発して真実を追求せねば、社会の連帯は崩壊するなどと考えるものは、おそらくひとりもいなかった。彼らは人間などいい加減なものだと知っていたし、それを知るのが人情を知ることだった。そして徳川期の社会は、そういう人情のわきまえという一種の連帯の上にこそ成立しえた社会だった。
(中略)
なるほど日本人は普遍的ヒューマニズムを知らなかった。人間は神より霊魂を与えられた存在であり、だからこそ一人一人にかけがえのない価値があり、したがってひさんの悲惨も見過されてはならぬという、キリスト教的博愛を知らなかった。だがそれは同時に、この世の万物のうち人間がひとり神から嘉されているという、まことに特殊な人間至上観を知らぬということを意味した。彼らの世界観では、なるほど人間はそれに様がつくほど尊いものではあるが、この世界における在りかたという点では、鳥や獣とか隔たった特権的地位をもつものではなかった。鳥や獣には幸せもあれば不運もあった。人間もおなじことだった。世界内にあるということはよろこびとともに受苦を意味した。人間はその受苦を免れる特権を神から授けられてはいなかった。ヒューマニズムは人間を特別視する思想である。だから、種の絶滅に導くほど或る生きものを狩りたてることと矛盾しなかった。徳川期の日本人は、人間をそれほどありがたいもの、万物の上に君臨するものとは思っていなかった。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.504~505
おわり。