2017.09.15 【543日連続投稿】
「”宗教ーキリスト教徒が知るような宗教において不可欠とされるものを伝え保存すること、それによって心の最も高い願望と、知性の最も高貴な着想とをかき立てること、迷信の力を削ぎ寛容を説くにとどまらず、生きた信仰と行動への正しい動機、つまりは人間性に許された最高のものを最優先の地位につけること”ーこれこそが文明であるとするならば、日本人は文明をもたない」。このように言うときオールコックはキリスト教文明以外の文明のありようを頭から否定しているのではない。だが、彼がキリスト教文明を最高の文明と考えていたのは確実である。そしてもし宗教がこのようなものとして定義されるならば、日本の宗教がおよそ宗教の名に値せぬ迷信と娯楽の混合物に見えるのはあまりに当然だった。オールコックだけのことではない。当時の欧米人観察者の大多数は、神との霊的な交わりによって、個人の生活と社会のいとなみにより高い精神的水準がもたらされているものとして、宗教を理解していたのである。すなわちそれは人間性の完成と道徳的進歩という十九世紀的理念に浸透された宗教観だった。そんなとほうもない基準を適用されたとき、幕末・明治初期の日本人が非宗教的で信仰なき民とみえたのは致しかたもないことだった。
渡辺京二『逝きし世の面影』p.532~533
おわり。