2017.09.18 【546日連続投稿】
昨日、寺子屋にて行われたインタビューゲーム4時間セッションに参加した際の気づきの続きを書こうと思います。
昨日の記事はこちら
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本日のつれづれ no.535 〜【寺子屋主催】第6回インタビューゲーム4時間セッションに参加して〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ
【目指さないインタビュー】
この気付きは、多分私が50人とインタビューゲームをやって積み重なったものが言葉になって現れました。どういうことかと言いますと、私の中でインタビューゲーム、インタビュー、聞くこと、コミュニケーションには正解というものはないと思っていて、ただただ他者と心地よく関わっていることが私にとっては大切なんだと思ったのです。
経験から話しますと、私は20人くらいの方とインタビューゲームをした経験を積んだ時に「結構深掘りして聞けるようになってきたな」という自負がありました。それからどれだけ相手から引き出せるのか、どうすればあまり他人に口にしないようなことを話せてもらうか、というようなスタンスでインタビュー(聞くこと)をしていました。
しかしある時、逆に自分が相手から「引き出してやろう」「聞いてやろう」という姿勢で来られたときに、とても気持ち悪さ・嫌悪感を感じてしまったんですね。「なんだその上から目線は...」というような気分になりました。
また、聞くことは相手の話を頷きながら傾聴して最後まで聞くことが大切にだと思われている方が結構いらっしゃる印象が私の中にありますが、それも時と場合と人によって使うべきかどうか分かれるスキル・技術の話です。ちなみに、私はあまりにも「うんうん」と頷きが多いと、「この人話聞いてるのかな?」と思ってしまう人でして、聞こう聞こうと意識してむしろ聞いていない感じをよく感じます。
結果として、「こんなこと普段は話さないのに話してしまった」となるのは素敵なことだと思います。しかし、最初から聞く側が「そういう話を聞こう」とゴールや目的を決めて聞くことや手法に囚われた聞くことが、むしろチープなコミュニケーション・不快なコミュニケーション・聞き手が誘導するコミュニケーション(誘導尋問)に陥る可能性があるのではないかと思いました。
そんなことを思い続けていたからこそ、昨日の振り返りの時に、「目指さないインタビュー」という言葉が湧いてきたのだろうと思います。
私が思う「目指さないインタビュー」というのは、
・聞き手が聞きたい、話し手が話したいと思える交わりを探っていくインタビュー。
・聞き手本位、話し手本位にならず互いが対等であるインタビュー。
・聞きたいこと、話したいことがリアルタイムで生まれるインタビュー。
・話が脇道にそれていいインタビュー。
こんな思いが詰まった言葉です。
昨日の振り返りの付箋
今後、インタビューゲームを体験できる機会です。
10月14日(土) 14:00〜
インタビューゲーム会@サムハプ
11月19日(日) 13:30〜
第5回教師塾〜聞くとは何か?人生が変わる対話への扉〜
おわり。