2017.09.29 【557日連続投稿】
幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、一つの完成された域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩体制の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられたといわれる。そして何よりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白として日本をその一環に組みこもうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。リンダウが言っている。「文明とは、憐れみも情もなく行動する抗し得ない力なのである。それは暴力的に押しつけられる力であり、その歴史の中に、いかに多くのページが、血と火の文字で書かれてきたかを数えあげなければならぬかは、ひとの知るところである」。むろんリンダウのいう文明とは、近代産業文明を意味する。オールコックはさながらマルクスのごとく告げる。「西洋から東洋に向かう通商は、たとえ商人がそれを望まぬにしても、また政府がそれを阻止したいと望むにしても、革命的な性格をもった力なのである」。だが私は、そのような力とそれがもたらす必然について今は何も論じまい。政治や経済の動因とは別に、日本人自身が明治という時代と通じて、この完成されたよき美しき文明と徐々に別れを告げなければならなかったのはなぜであったのか。その点について、文明の保証する精神の質という面から、いくらか思いつきを書きつけるにとどめよう。
おわり。