名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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読物つれづれ no.9 〜細谷功『具体と抽象』-世界が変わって見える知性のしくみ-〜

2017.10.20  【578日連続投稿】

 

読物つれづれとは、私が読んだ本の記録として、感想、気付き、印象に残った箇所を紹介したりするものです。

 

9冊目に読んだ本は、『具体と抽象 -世界が変わって見える知性のしくみ』(著:細川功)です。

 

具体と抽象

 

この本も寺子屋塾に置いてあり、またまた私が訪れた時に話題となって話をしていた時に手に取った一冊です。

最近の本の出会いは、寺子屋塾でほとんど起きています。本屋さんにいくより、寺子屋塾に行った方が良書に出会いやすいです。良書に出会うってことは、寺子屋塾の道具の一つである数々の本の中に私が求めているものにハマりやすい環境だと言えると思います。

 

さて、この本を手に取った時に何を求めていたのかというと、

「人と人との話がどうしたら噛み合うか」ということだったと思います。

 

本書のはじめの印象では、抽象思考がいかに重要で、どうやって高めていくのかということが相手あるのかなと思っていましたが、本質はそんなところではなかったと読み終わって感じています。

 

 よくも悪くも身の回りの事象を「解釈」することを覚えてしまった人間は、自然をありのままに眺めることが非常に難しくなってしまっています。抽象レベルの概念はそれが固定されやすいという性質を持っており、これが偏見や思い込みを生み出し、私たちの判断を狂わせます。

 さらに、抽象度という一つの座標軸におけるスタンスが人によって異なるために、人間同士のコミュニケーションにも障害をもたらすことが多いというのも本書で解説したとおりです。

 抽象の世界に足を踏み入れてしまった人は、その世界が見えていない人にいらだちを覚えます。「表面事象」でしかものをとらえられない部下に不満を持つ上司がその典型です。あるいは逆に「前例」や「数値目標」という具体的にものでしか判断しない上司にいらだつ部下の同様です。いずれいしても、「見えていない人」から見ると、「見えている人」は「訳のわからないことを言っている異星人」にしか見えないのです。

 人類の思考という最強の武器を手に入れさせた一方で、「野生の行動力」を失わせたのも抽象という概念なのかもしれません。頭の中にとんでもなき大きな精神世界を作り上げた人間は、物理的な世界ではある意味動物に劣って当然ともいえます。「考えると行動ができなくなる」のも抽象のせかいがもたらした弊害です。

 抽象化能力のもたらす客観視の姿勢は、主観的な感情とも衝突します。本文の中では抽象化思考をするための「阻害要因」として「自分を特殊だと考える」という人間の思考の癖を取り上げましたが、よく考えるとこれは本末転倒で、抽象化思考のほうが、自分中心で生きようとする人間の行動を「阻害」しているといえるのかもしれません。

 

 これらの障害も考慮していくと、結構重要なのは、「抽象化」と「具体化」をセットで考えることです。福沢諭吉は「高尚な理は卑近の所にあり」という言葉を残しています。まずは徹底的に現実を観察し、実践の活動を通して世の中の具体をつかみ、それを頭の中で抽象化して思考の世界に持ち込む。そこで過去の知識や経験をつなぎ合わせてさらに新しい知を生み出したのちに、それを再び実行可能なレベルにまで具体する。これが人間の知とその実践の根本的なメカニズムということになると考えられます。

 

細谷功『具体と抽象』p.127~129

 

肝心なのは、抽象か具体かということではなく、物事を見るためのフレームだと思って、抽象と具体はあるんだと思いました。

 

簡単に書いてあるけど、難しいことが書いてある本だなぁと感じました。

 

おわり。