2017.11.09 【598日連続投稿】
現在、脳科学やそれに影響を受けた分野では、行為における意志の役割に強い疑いの目が向けられている、とはいえ、意志を行為の原動力と見なす考え方が否定されたのはこれがはじめてではない。哲学において、意志なるものの格下げをもっとも強く推し進めたのは、十七世紀オランダの哲学者、スピノザである。
意志概念に対するスピノザのアプローチを理解するうえで忘れてはならないのは、彼が、しばしその主張として紹介される「自由意志の否定」には留まらなかったということである。
たしかにスピノザは、「自由な意志」という概念を斥け、この世界とわれわれの心身を貫く必然性に則って生きることをよしとした。スピノザによれば、意志は「自由な原因」ではない。それは「強制された原因」である。すなわち、私が何ごとかをなすのは、何ごとからも自由な自発的意志によってではない。いかなる物事にも、それに対して作用してくる原因があるのだから、意志についてもそれを決定し、何ごとかを志向するよう強制する原因がある。人々がそのことを認めようとしないとすれば、それは、彼らが自分の行為は意識しても、行為へと決定する原因のことは意識していないからに過ぎない。
こうしてスピノザは簡潔かつ説得的に、「行為は意志を原因とする」という考えを斥けた。
國分功一郎『中動態の世界』p.30
なるほど。
意志が何をする時も決定するという考えに対してスピノザは、何事にも作用するものがあるのだから、意志についてもなんらかの作用がある。だから、意志にどんなことが作用しているのかを見ようとすることが重要だ。と言っている気がする。
スピノザの考察はこれでは終わらない。続きはまた明日。
おわり。