2017.12.07 【626日連続投稿】
およそ人が「自発的」に行うことは、すべてこれを願望して行う。そしてよくないと思われることを願望する者はいない。すると、自制心のない状態は誰しもがよくないと思うことなのだから、そうした状態に陥っている者は、自分が願望していることを行いつつ、自分が願望していることを行なっていないことになる。
ということも、その人は、欲望に基づくという意味では願望に従っている(つまり、やりたいことをしている)のに、理性に反するという意味では願望に従わずに行為している(つまり、やりたいことをしていない)ことになるからである。これは矛盾であり、「不可能なことである」。
分かりやすく言えば、いったい、やりたいことをしているのかしていないのか、どちらかなのか説明が付かないということだ。
國分功一郎『中動態の世界』p.125~126
やりたいことをやることが自発的であれば、やりたくないことをやることは何になるのだろう。
やりたいことだけをやることが自発的であるというのなら、自発的な自分ってなんて狭い世界で生きているのだろうと思う。
やりたくないことをやるのは、理性があるからなのだろうか。
やりたいことがあるけどやらないのは理性があるからなのだろうか。
どうやら、やりたい(願望)とやらない(理性)のどっちかで人は生きてはいないように思えてきます。
おわり。