2017.12.09 【628日連続投稿】
理性と欲望の二つだけを行為の動員とする限り、どうしてもうまく説明できない事態が生じてしまう。そこでアリストテレスは新たな概念を提示する。それが、プロアイレシスの概念である。
しばしば「選択 choice」と翻訳されるこの語は、「選択を意味する名詞(ハイレシス)に、「前に」「あらかじめ」などを意味する接頭辞の(プロ)がついてできた語であり、『ニコマコス倫理学』における説明によれば、「他の諸々のものに先立って何かを選ぶ」ことを意味する。
アレンとはこの語をアリストテレスによる造語と言っているが、実際にはアリストテレス以前からこの語は存在している。とはいえ、アリストテレスの著作のなかでこの語が独自の意味を込めて使用されていることは事実であり、この語がそこで新しい概念として練り上げられたと言うことはできるだろう。
〜中略〜
理念と欲望の相互作用のなかでプロアイレシスが成立し、行為が遂行される、アレンとの言い方を借りれば、プロアイレシスは両者の間に挟まって媒介の役割を果たす。行為の端緒はプロアイレシスであり、プロアイレシスを生み出すのは理性と欲望である。
プロアイレシスにおいて理性と良き暴徒が混じり合う様を指して、アリストテレスは、プロアイレシスは「欲求を伴う知性」であり、また、「思考を伴う欲求」でもあると述べている。すると無自制は、プロアイレシスが理性よりも欲望により強く影響されて成立している状態を指すと考えられるだろう。
プロアイレシスの概念を設定することにより、理性と欲望の影響力の度合いを考えることができるようになる。先ほどの矛盾は、理性と欲望の影響力の度合いを考えることができるようになる。先ほどの矛盾は、理性と欲望が直接に行為を生み出すと想定したがために現れたものだと考えればよい。
國分功一郎『中動態の世界』 p.126~127
おわり。