2017.12.16 【634日連続投稿】
落ち込んだ人間は、自分が何かからっぽになったように感じる。まるで手足が萎えたかのように、活動するのに何かが欠けているかのように、身体を動かすはずの何かが足りないためにうまく動くことができないかのように感じる。そこで、何かを摂取すると、からっぽだとか、萎えたりとか、弱ったとかいう感じはしばらくは消えて、自分はやっぱり人間だが、確かに何かを持っているし、無ではないと知覚する。人は自分の内の空虚を追い払うために物を詰め込む。これが受動的な人間である。彼は自分がちっぽけだという不安を持ち、その不安を忘れようとして消費し、消費人となる。
(中略)
刺激に対する単なる反作用としての〈能動〉、あるいは外観は情熱のようでも実は外力に動かされている〈能動〉は、いかに大げさな身振りをしても、基本的には受動である。
『人生と愛』「私たちの社会の過剰と倦怠」より エーリッヒ・フロム著
佐野哲郎。佐野五郎訳
おわり。