名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.889 〜聴かないことの力〜

2018.10.01【922日連続投稿】

 

 一方的に聞き役にまわれると、相手の存在が見えなくなります。相手がどういう人間なのか、どんなふうに考えられるタイプの人なのかが見えません。すると、しゃべったことが一方通行になって問題が自分に返ってこないのです。どんな形でもいいからその人がどう考えるのか、どう思ったのか返してもらわないと、その次の「自分で考える」「自分で動いてみる」作業ができないのだと思います。

 一緒に考えてくれる時の相手は、いつも自分と同じ目線の高さにいます。上から言われる感じもしたから言われる感じもしません。「同じ目線だ」と感じます。それに「こんなちっぽけな自分のことを一緒に考えてくれるのはなぜか」とも思います。

 でもそうやって同じ目の高さで話してくれているうちに、私は「ああ、自分はそんなにちっぽけなものじゃなかったのかもしれない。こんなふうに一緒に考えてくれるということはこの人は自分の存在も自分のできる力も信じてくれているし認めてくれているんだ」と思います。だから一緒に考えてくれる相手が現れると、同時に自分が現れることになるのです。けっきょく人間は、人間がいないと、自分がいるということに気づかないのかもしれないと思います...。

 

『技法以前』著:向谷地生良 より