2018.11.29 【979日連続投稿】
観察が輪郭に始まって漸々局部に移って行くという意味を別の言葉で現わすと、観察が輪郭を離れてしまうということに帰着する。離れるのは忘れる方面へ一歩近寄るのと同然である。しかもその局部に注ぐ熱心が強ければ強いほど輪郭の観念は頭を去るわけである。だから黒人は局部に明るいくせに大体を眼中に置かない変人に化けてくる。そうして彼らの得意にやってのける改良とか工夫というものはことごとく部分的である。そうしてその部分的の改良なり工夫なりが毫も全体に響いていない場合が多い。
(中略)
素人はもとより部分的の研究なり観察に欠けている。その代わり大きな輪郭に対しての第一印象は、この輪郭のなかで金魚のようにあぶあぶ浮いている黒人よりは鮮やかに把捉できる。黒人のように細かい鋭さは得られないかも知れないが、ある芸術全体を一眼に握る力において、糜爛した黒人の眸よりもたしかに溌溂としている。富士山の全体は富士を離れた時にのみはっきりとながめられるのである。
(中略)
こうなると俗に黒人と素人の位置がしぜん顚倒しなければならない。素人が偉くって黒人がつまらない。
おわり。