2019.02.08 【1049日連続投稿】
「われわれはいま『お天気』ということばをごく日常に用いているが、この『天気』という語も本来の日本語ではない。これも、概括的、抽象的な言葉なのである。同様に『春』『夏』『秋』『冬』はある。しかしそれらを抽象した『季節』はない。
あるいは目に見える『そら』はある。しかし万物を主宰し、運行せしめ、個人と集団の運命を定める抽象的な『天』はない。いやこの『天』ともなると、たんに抽象というにとどまらず、この観念を生んだ種族の思想ーーすなわちものの考え方、世界と人間のとらえ方ーーを濃淡にふくんでいる。
概念があるからことばがある。逆に言えば、ことばがないということは概念がないということである。」
(高島俊男『漢字と日本人』)
ことばは単なる音ではない。
ことばには必ず概念が含まれている。
その概念というのは、すべての人で共有されているものではない。
むしろ、私だけ・あなただけしか持っていない概念もあるかもしれない。
だから、ことばを使ってその概念を共有して生きていく。
ことばというのは、分からない概念を繋ぎ合わせるという意味でも、活用される。
だから、概念がないことばはないんだ。
おわり。