名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1023 〜言葉と心〜

2019.02.11  【1052日連続投稿】

 

 私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正確な言い方なのです。

 「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、言葉を発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独自する場合でも変わりません。独自においてさえ、私たちは日本語の語彙を用い、日本語の文法規則に従い、日本語で使われる言語音だけ用いて、「作文」しているからです。

 私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言えるかも知れません。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義

 

心の中に言葉があるのかと思っていた。

心から言葉が生まれると思っていた。

だけれども、言葉が心を作っているのかもしれない。

だから、どんな言葉に囲まれて生きているかで、心も内面も意識も変わるかもしれない。

 

おわり。