2019.02.11 【1052日連続投稿】
私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正確な言い方なのです。
「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、言葉を発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独自する場合でも変わりません。独自においてさえ、私たちは日本語の語彙を用い、日本語の文法規則に従い、日本語で使われる言語音だけ用いて、「作文」しているからです。
私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言えるかも知れません。
心の中に言葉があるのかと思っていた。
心から言葉が生まれると思っていた。
だけれども、言葉が心を作っているのかもしれない。
だから、どんな言葉に囲まれて生きているかで、心も内面も意識も変わるかもしれない。
おわり。