名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1030 〜いま・ここ・私が最高到達点という「人間主義」〜

2019.02.18  【1059日連続投稿】

 

 私たちは、歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程として捉えたがる傾向があります。歴史は過去から現在めざしてまっすぐに流れており、世界の中心は「ここ」であり、世界を生き、経験し、解釈し、その意味を決定する最終的な審級は他ならぬ「私」である、というふうに私たちは考えています。

 「いま・ここ・私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えをフーコーは「人間主義」(humanisme)と呼びます。(これは「自我中心主義」の一種です。)

 「人間主義」とは、言い換えれば、「いま・ここ・私」ということです。「いま・ここ・私」をもっと根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えをフーコーは「人間主義」と呼んだのです。この人間主義歴史観によれば、歴史は次々と「よりよいもの」、「より真実なもの」が連続的に顕現してくるプロセスとして理解されます。(だって、「いま・ここ・私」がすべての基準なのですから、それが最高到達点であることは自明の前提です。)

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p.80〜81

 

「いま・ここ・私」がすべての基準なのだから、それが最高到達点という考え方は、人生をながーく見て語るとき、あの時のことがあったから今があるってときの考え方なんだな。

私が私であってよかったそう思いたい自分が滲み出てるなぁと感じます。

 

おわり。