名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1031 〜語られていないことは何か?という視点〜

2019.02.19  【1060日連続投稿】

 

 フーコーはそれまでの歴史家が決して立てなかった問いを発します。

 それは、「これらの出来事はどのように語られてきたか?」ではなく、「これらの出来事はどのように語られずにきたか?」です。なぜ、ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され、隠蔽されるのか。なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。

 その答えを知るためには、出来事が「生成した」歴史上のその時点ー出来事の零度ーにまで遡って考察しなければなりません。考察しつつある当の主体であるフーコー自身の「いま・ここ・私」を「カッコに入れて」、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さなければなりません。そのような学術的アプローチをフーコーニーチェの「系譜学」的思考から継承したのです。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p86

 

過去を見る時、直線的に見るのが「人間主義」。

これは、あらかじめ決まられたストーリーが流れるように物事の事象を観ることである。

ただ、そのストーリーから弾き出された事象はないのか?

フーコーはそのように考えた。

 

語られることが全てなのか?

 

おわり。