2019.02.21 【1062日連続投稿】
フーコーは、歴史を「生成の現場」にまで遡行してみることによって、「常識」をいくつも覆してゆきました。フーコーが覆した「常識」のうちでいちばん衝撃的なものは、おそらく精神疾患における「健康/異常」の境界という概念でしょう。
フーコーはその最初の学術的主題に「狂気」を選びました。彼が最初にめざしたものは「歴史から排除され、理性から忘れ去られたものー狂気ーに語る機会を提供すること」でした。
(中略)
「しばらく前まで、狂気は白日のもとで大いに活躍していた。『リヤ王』も、『ドン・キホーテ』もそうだ。しかし、それから半世紀も経たないうちに、狂気は押し込められてしまった。強制収容所の城塞の中で、『理性』と、道徳の諸規制と、それがもたらす彩りのない暗がりに縛り付けられてしまったのである。」
(『狂気の歴史』)
17〜18世紀のヨーロッパでは精神病者の囲い込みいわゆる病気と診断された者は一箇所にまとめて管理されていたと言われています。
フーコーは「語られない事実」をいかに観るかという視点で過去を見ました。
17〜18世紀以前は、地域に溶け込んで共同体の成員として認知され、共同体の中で役割を持っていたようです。
宗教的な考えも含まれ、狂人(精神病者)は人間社会にとって自然であり、有意義なこととされていました。
では、そこからなぜ変わってきたのか?
その「なぜ」が「健常/異常」の境界が生まれたヒントがあると思っている。
おわり。