2019.03.13 【1082日連続投稿】
自分の無意識を知ることは自分と向き合うことになるのですが、これはやはり他人がいるからできることなんだろうと思います。
自分の無意識を知るにはやはり自分だと無意識なので知る術がないのかもしれません。
自分の顔を自分では見れないように、自分の顔は他人にしか見ることができないのです。だから、他人は鏡とも言うのかもしれません。
他人がいれば自分を知ることができるというわけではなく、変化を怖がっていては知ることはできないのです。
ということは、自分の無意識を知ろうとしないことは、変化することを恐れているとも言うことができます。
変化を恐れるのは、今まで生きてきた自分の歩みが否定されたような感覚になったり、積み重ねたものが破壊される感覚になったりします。
むしろ、それが感じられなければ変化とはいえないでしょう。
自分を知ることはしんどいことです。
でも、何のために自分を知るのかっていえば、「何に自分は苦しんで、何に幸せを感じるのか」を知るためだろう。
おわり。