2019.03.20 【1090日連続投稿】
村上龍はあるインタビューで、「この小説で、あなたは何が言いたかったのですか」と質問されて、「それを言えるくらいなら、小説なんか書きません」と苦い顔で答えていましたが、これは村上龍の言うとおり。答えたくても答えられないのです。その答えは作家自身も知らないのです。もし村上龍が「あの小説はね・・・」と「解説」を始めたとしても、それは「批評家・村上龍」がある小説の「解説」をしているのであって、そこで語っているのは「作家・村上龍」ではありません。
何を言いたいのか分かってるなら書かなくて済む。
書くことは自分を深めることであり、書く前から分かっていることを書くにであれば書くことに価値はあるのだろうか。
書くことと分かることの関係は密接だ。
書くことは、自分の意識されていることをそのまま書くだけでなく、無意識にも目を向けることになるから分からないことを書くことになるのだろう。
だから、書けなくてもいい。
書こうとする行為が価値があるのではないだろうか。
そして、書いただけでは自分は分からない。
誰かが読んでくれるから、自分というものが分かるのだ。
読んだ人が思ったことを知ることで初めて自分が何を思って書いたのか分かるのかもしれません。
おわり。