2019.06.13 【1175日連続投稿】
話を聞くならば、理解しよう・理解しなければならないと思っていやしないだろうか。
そりゃ人の話っていうのは、自分じゃ分からないことをたくさん聞くわけだから理解しようとするのは、限りもある。
「聞くこと=理解すること」になっていると、聞くことの可能性を閉ざす事になっているのではないだろうか。
聞くとはなにか?
人それぞれ異なる見解であることはもちろんだが、聞くならば首をウンウンと頷きながら聞くも一つだし、一見聞いていなさそうだけど耳を傾けるのも聞くである。
他人を100%理解できないとするならば、聞くこともできなくなってしまう。
聞くことを、受け止めるとするならばそれはどんな人であっても話を聞くことは可能ではなかろうか。
聞くことが理解することではなく、その人を受け入れるではなく、受け止めるだけであるならば、聞くことの可能性は果てしないと感じます。
受け止めるからこそ、安易に相手を理解した気にならず、常に新しい相手を受け止めることができるからだ。
そんなことを最近は感じている。