名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1243 〜勉強とは、自己破壊である。 『勉強の哲学』千葉雅也より〜

2019.09.18 【1273日連続投稿】

 

積読本の1冊であった千葉雅也『勉強の哲学』をようやく読み始めた。

 

その冒頭一部を今回は紹介したい。

 勉強とは、自己破壊である。

では、何のために勉強するのか?

何のために、自己破壊としての勉強などと言何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?

それは、「自由になる」ためです。

どういう自由か?これまでの「ノリ」から自由になるのです。

 

 私たちは、基本的に、周りのノリに合わせて生きている。会社や学校のノリ、地元の友人のノリ、家族のノリ・・・そうした「環境」のノリにチューニングし、そこで「浮かない」ようにしている。日本社会は「同調圧力」が強いとよく言われますね。「みんなと同じようにしなさい」ーそれは、つまり「ノリが悪いこと」の排除です。「出る杭は打たれる」のです。

 しかし、勉強は、深くやるならば、これまでのノリから外れる方向へ行くことになる。

 ただの勉強ではありません。深い勉強なんです。それを本書では、「ラディカル・ラーニング」と呼ぶことにしたい。ラディカルというのは「根本的」ということ。自分の根っこのところに作用する勉強、それを。僕にできる限りで原理的に考えてみたいのです。

 

千葉雅也『勉強の哲学』p.18〜19

 

おわり。