2019.09.18 【1273日連続投稿】
積読本の1冊であった千葉雅也『勉強の哲学』をようやく読み始めた。
その冒頭一部を今回は紹介したい。
勉強とは、自己破壊である。
では、何のために勉強するのか?
何のために、自己破壊としての勉強などと言何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?
それは、「自由になる」ためです。
どういう自由か?これまでの「ノリ」から自由になるのです。
私たちは、基本的に、周りのノリに合わせて生きている。会社や学校のノリ、地元の友人のノリ、家族のノリ・・・そうした「環境」のノリにチューニングし、そこで「浮かない」ようにしている。日本社会は「同調圧力」が強いとよく言われますね。「みんなと同じようにしなさい」ーそれは、つまり「ノリが悪いこと」の排除です。「出る杭は打たれる」のです。
しかし、勉強は、深くやるならば、これまでのノリから外れる方向へ行くことになる。
ただの勉強ではありません。深い勉強なんです。それを本書では、「ラディカル・ラーニング」と呼ぶことにしたい。ラディカルというのは「根本的」ということ。自分の根っこのところに作用する勉強、それを。僕にできる限りで原理的に考えてみたいのです。
千葉雅也『勉強の哲学』p.18〜19
おわり。