2019.10.02 【1287日連続投稿】
だから、自由になるために取り組むべき勉強のテーマ、勉強の「深い」テーマは、これまでのあなたにとって、キモいことである。ダサいことである。恥ずかしいことである。
そういう退けたいような何かをわざと考えてみる。言葉遊びの力を借りて。
たんに「言えるには言える」という形でいいんです。
現実に即した意味を求める必要はないのです。
言葉遊びにすぎないのであれば、非現実的なことや、嫌なことでも考えやすいでしょう。そもそも、言葉は他者なんですから。自分から「浮いた」ヴァーチャルな言語の次元で、これまでは真剣に考えなかったことを考えてみる。あるいは、真剣に考えてみたかったけれど、向き合ってこなかったことを考えてみる。わざと。言語は他者だと思えば、そんなこともやりやすくなるのではないでしょうか。これが、勉強の深いテーマを発想するための基本的な姿勢なのです。
千葉雅也『勉強の哲学』p.61〜62
現実に即した意味を求める必要はない。
これは自分にとってかなり衝撃的な一言だった。
現実に即さなければ意味がないと思っている自分にとっては、遊びが足りてねぇんだって言われてるんだろうなって思った。
言葉は自由。
もっと言葉を遊んで使ったみたい。
おわり。