2019.10.08 【1293日連続投稿】
ふと、読書をしていて思っていたこと。
今は『勉強の哲学』(著:千葉雅也)を読んでいるのですが、最初はとてもとっつきやすく読みやすいんですが、第2章に入ってからはなかなか理解に時間がかかっています。
普段使わない言葉遣いや著者独特の表現を理解するのは時間がかかります。
でも、分からないからこそ何度も読み返して分かるまで同じ部分を読もうとする自分がいます。
ああ、これが自然な学びの1つじゃないのかって思った瞬間です。
分からない気持ち悪さを何とかしたいという気持ち。
著者の言っていることを分かりたいという気持ち。
分からないからまあいいや。と思っている時期もあったが、この感覚が当たり前なら学びはもっと事前な営みになるんだろうと思いました。
おわり。