2019.10.22 【1307日連続投稿】
昨日、自分が気になったワードなどが会話の中で出てくると、ついつい長く話してしまうことについて書きました。
今回は、無自覚に起こってしまうのは何故なのかを書きていきます。
なぜ、不必要に細かい話にハマり込むのか?
先の人は、『ドラゴンボール』については「語れてしまう」知識が、言葉のストックがあるのでしょう。語れてしまうから、語りたくなり、語ってしまう。衝動的に。これは、知識を自慢したいとか、承認欲求を満たしたいといったことより、溢れる言葉に乗っ取られたような状態ではないでしょうか。自分にとってどうでもよくない何か、「こだわり」をもつ何かが、自分を衝き動かしてベラベラと語らせてしまう。自分がそれを語ることより、こだわりのスイッチが押されて言語が溢れ出し、言語に乗っ取られ、腹話塾のようになってしまう。
そうなると、理解を求めるのは二の次で、いうことそれ自体が楽しいのです。その楽しさがさらに言葉をドライブする。そういう語りは、もはや言葉を言っているというより、たんに「口をもぐもぐすること」の原始的な気持ちよさに近い。口の、身体の「享楽」に浸っている。
縮減的ユーモアでは、「享楽的こだわり」のために口を動かしている。
この「享楽」という言い方は、違和感があるかもしれませんが、「快楽」と同じだと思ってください。これは、ラカン派という精神分析学の一派で使われる用語で、ここではその文脈を念頭に置いています。
意味のためではなく享楽のために、言語を使っている。それが、自己目的的に気持ちいいだけの、言語の玩具的使用です。おもちゃで遊ぶというのは、それ自体が楽しいということのなのです。
千葉雅也『勉強の哲学』p.103〜104
自覚的に楽しいから遊ぶのではなく、無意識で楽しいから遊ぶと同じ。
無自覚に楽しいことが分かっているから、ついつい語ってしまうのでした。
誰も理解はしてもらわなくていいから話させてくれ!ということなのです。
おわり。