2020.05.01 【1498日連続投稿】
スポーツとルールにも編集が詰まっていてヒントになる。
またそのルールからなにが意図されているのかに気付くこともある。
遊びとスポーツの違いもある。スポーツは闘争と競争を起源としていること、危険を厭わないこと、勝負にこだわること、勝てば名誉か賞金賞品が獲得できること、そしてもうひとつはルールに反則が加わっているということだ。
特にルールは遊びよりもうんと厳密で、反則を犯せばペナルティーが科せられる。そのためフェアプレーという精神をあえて高々と称揚する必要もあった。クーベルタン男爵の近代スポーツ精神はそこから出発した。が、スポーツのスポーツたるゆえんは、どのようにルールをつくり、どのような反則をつくるかにかかっている。そのルールづくりのところに編集術に通じるものがある。
例えば野球と言うゲームは攻撃と守備を交互に分けた。それを代わるがわる九回にわたってくりかえすことにした。これはなかなか大発見で、実はディベートや裁判のルールに通じるものがある。検察側と弁護側が交代で論陣をはる裁判のシステムは、そんなことをいうと叱られるかもしれないが、全く野球と同じなのだ。ただ野球の審判の力が気の毒なほどに裁判長ほど絶対的ではないだけである。裁判では、判定に不服だからといってすぐに殴り合いにもならない(サッカーやラグビーでは審判の力は裁判長に近い)。
松岡正剛『知の編集術』p.64〜65
《本日の晩酌》
SUNTORY「TOKYO CRAFT IPA 2020」
おわり。