2020.07.08 【1564日連続投稿】
私と工業高校の教員である西尾さんとで教師塾なるコミュニティを運営しています。
教師と聞くと、「学校の先生」とイメージしがちですが、
厳密に言えば、学校の先生は「教員」です。
教師とは、教える立場に立つ人すべてを指します。
いや、学びを与え与えられる人すべてを指していると最近は思っています。
(今度、西尾さん伝えてみよう。)
だから、親も会社の上司も学校の先輩も子供も教師になりえます。
つまり、教師塾はだれもが学び合いたい人が学ぶ場です。
さて、前置きが長くなってしまいました。
教師塾では「哲学対話」というコンテンツを行っています。
哲学対話では、集まった人の中から1つテーマを決めてみんなで対話をするというものです。
対話の時のルールの1つに「人を否定したり茶化したりしない」というものがあります。
毎回、西尾さんが伝えているのは、「批判的な意見はいい」ということです。
その人自身を否定したり、茶化したりしてしまうのは、対話ではなく相手を傷つけることに繋がるからです。
だから、「○○な考えを持っているあたなはどうかしていると思う」は否定。
しかし、「あなたの○○という意見についてはどうかしていると思う」は批判。
分かりやすくシンプルに書いてみた。
一見、どちらもキツイ言い方かもしれないが、的が人なのか意見なのかで全く違う印象が私にはある。
(そもそも、語尾が「どうかしていると思う」がきつめでしたね)
ただ、批判があるから議論や対話が成り立ちあらゆる視点やアイディアが今まで生まれてきただろう。
また、もっといい言い方としては、問いに置き換えることだと哲学対話では伝えている。
「あたなは○○な意見と話されたけども、××な意見もあるがどう思うか?」など伝え方は様々なのである。
否定は確かに、人との関係性や対話を成り立たせなくなる要因だが、否定と批判をごっちゃにしては、価値ある批判も埋もれさせてしまう可能性がある。
私自身は、批判は重要だと思っているので、批判こそ深く物事を考えるチャンスだと思っている。
【本日の晩酌】
10日(金)までは禁酒にします。
おわり。