2020.07.14 【1569日連続投稿】
別の言い方でいえば、情報には「分母としてあらわされる情報の特徴」と「分子としてあらわされる情報の特徴」とがあるということだ。そう考えるとわかりやすいかもしれない。そしてこの両方に、すなわち地にも図にも、分母にも分子にも、それぞれ情報の特徴は見出される。
具体的な例を出そう。
たとえば「寒い日だね」という分子の情報があるとして、分母に「冬」をもってくるか「夏」をもってくるかで、ずいぶん分子の情報に対する見方が変わってくる。同じ「寒い日だね」という情報も冬の一日で寒いのなら温度はかなり低いはずだし、これが夏ならば23度でも結構寒いことになる。
〜中略〜
もっと一般化して言えば、「異常だ」「笑止千万」「保守的」「経済効果」「独創的」「困った」「苦労をかけた」・・・これらの言葉が持っている情報のみは、いずれもどのような分母に属する地の情報をもとに表現されるかによって、その図の分子的特徴は変わってくる。こうした分母をちゃんと明示しない議論が最近はふえている。分母もなき時代、母なき時代なのである。
松岡正剛『知の編集術』p.117〜119
ここでいう分母なきとは、その人が発する言葉がどんな前提に立っているのか?どんな背景があるのか?
はたまた、何も考えておらず発しているのか?
自分が大切にしたいポイントだなって思いました。
【本日の晩酌】
金麦の夏。
おわり。