2020.09.08 【1615日連続投稿】
目的についてのお話を昨日に引き続きしたいと思います。
まず前提に、目的を持つことが絶対的にいいことであるとは私は思っていないということ。
時には、目的を持つことが固執して身動きが取りづらくなることもあるということ。
以上を知っておいて頂けると、ありがたいです。
そして今日は、時に目的を持つことが固執に繋がらないようにするポイントを書きます。
この目的を持つことが固執することになって、身動きが取りづらくなったり、追い込みになったりする場合があると初めて私が感じたのは、大学3年生の時にインドへ友人とボランティアツアーを企画して行った時です。
当時は、せっかく行くんだからしっかり目的を持って行くことによって、しっかり何かを得て帰ろうと思っていました。
しかし、いざインドに行ってみると行く前に目的なんて持つだけ無駄だったなぁと思っていたんです。
行く前のインドと行った後のインドは全く別物だったので、目的はガンジス川に捨ててやりました。
明確には覚えていないのですが、目的の一つとして決めていたのは、
「インドと日本の教育の違いを知る」みたいなことを持っていたと思うのですが、そもそも文化や生き方、住み方、宗教も違うのでそれらを知らずに比べることなんてできないし、知ったところで根底にあるものが違いすぎて、比べることすらおこがましい行為だと思ったことは覚えています。
だから、目的を持つと思い込みをしていることに繋がるとも同時に感じたのです。
そして、今のなって思うのは目的っていうのは、浅くてもダメで、抽象的すぎてもダメで、具体的でもダメで、広すぎてもダメなのだと気づいたのです。
コツは深く遠くなんだと思います。
深くとは、簡単に答えがみつからないこと。
遠くとは、生涯をかかってもできないくらい先を見通すこと。
多分、今の自分が仮にインドに仕事で行くとしたら、こんな目的を持っていくかもしれません。
「インドと日本の文化が異なる状況でも、人が育つために普遍的な要素は何か?を知るため」(あまりいい答えがでませんでした。笑)
そして、目的は何度も疑って、これ以上深く遠くのものはないくらいのものが目的と呼ぶに相応しいのかもしれません。
【本日の晩酌】
おわり。