2021.02.20 【1781日連続投稿】
私が仕事をしている就労継続支援B型事業所(障害がある方の就労支援施設)では、「自信がないから、自信をつけたい」と話す方が少なくはない。
当事者の支援にあたる人たちも「自信をつけてから、就職をしよう」と話すことが当たり前のような環境であると感じている。
そもそも「自信とは何か?」「何をどこまでやったら、自信という目に見えないものを獲得できるのか?」ということを、知らないで・考えないで話をしていることが、私は非常に違和感を感じることがある。
そもそも「自信をつけたい」という気持ちはどこから生じてくるのか?
を確認する必要があるのではないだろうか?
安直に自信をつけたいなら、「○○○するといいよ」とアドバイスすることは難しくないが、「自信をつけたい」が本人が本当に解決したいことや望んでいることとは限らないのである。
例えば、「家族から認められたいから、自信をつけたい」かもしれないし、
「過去の上手くいかなかった経験を払拭したいから、自信をつけたい」かもしれないし、
「なんだかよく分からない不安があるから、自信をつけたい」かもしれない。
「自信をつけたい」前にそう思った原点を知ることが、何よりも重要であると考える。
そして、大抵「自信をつけたい」と考える人は、優劣の判断をしているから「自信をつけたい」と思っていることが多いと感じる。
優劣の判断をしてしまうことが、悪いわけではない。
優劣の判断をしてしまうのは、幼いころの親子関係・家族関係から学校での経験が大きく左右しているからである。
立ち止まって思考するしてみる機会が少なければ、勝手に「優劣の判断をする癖」がついてしまいやすいのが現代であると私は思っている。
自信をつけたい⇒その理由は何だ?⇒優劣の判断をしているからでは?
ということが起きやすいんだと思っています。
それが分かっていると、現環境で優劣の「優」になり自信をつけたとしても、環境が変われば優劣の「劣」になってしまいます。
自信をつけても、自身がなくなり、また自信をつけたい、という無限ループの完成でしかないように思いますが、皆さんは「自信をつけること」に対してどのようにお考えでしょうか?
次回は、「自信をつけたい」という方に対して、私がどんなアプローチをしているのかを書いていきます。
【本日の晩酌】
おわり。