2021.12.27 【2091日連続投稿】
誰かに自分を認めてもらう前に自分で自分を認めることができれば、どれだけ楽だろう。
自分で自分を認めている人は、それが当たり前なことで、できない人はなんでできないのか、理解はできるが、本当には分からない。
そして、自分を認められていない人が、自分を認められている人から「自分を認めれば楽になれるよ」と言われても、その言葉自体受け入れがたいものがあるのかもしれない。
お前はいいよな、俺はこんなに大変なんだぞって具合に。
そう、自分で自分を認めるための条件は、なかなか見えない。
親に認められる、先生に認められる、友達に認められるなど周囲から認められているを感じたことない人は、まずは自分が認められている環境に身を置き、「認められるってこういうことか!?」と知ることからだろう。
人によって「認められている」を感じるポイントは違い、人によって「認めているぞ」のシグナルも異なる。
だから、「認められることを欲する」よりも「認められていることに気付く」ことが重要で、「認められているってこういうことか!」と知らなければ、自分を自分で認めることってなかなか難しいんじゃないかって思うわけだ。
そして、「認める」ってことは、何か条件がある中で、認められる世界ではない、無条件に認められていることから知っていけば、条件下で認められる世界に飛び込んでも、「自分で自分を認められる」から大丈夫。
認めるって行為は、甘さとは違う。
実際、認めるための勇気が必要だし、認められていると感じる勇気も必要な人もいる。
「こうすれば、こうなるという絶対的な方程式」なんてないが、
個別の方程式と普遍的なコトを突き詰めていきたい。
【日筮】
【本日の晩酌】
休肝日。
おわり。