no.2086 ~自己責任か?社会的責任か?為末大さんの記事より~
2022.01.24 【2119日連続投稿】
22日(土)にこの記事を読んで、さらに私の周囲もこの記事に関して多くのリアクションがあって、私も色々と考えることがあったので書きたいと思います。
ちょうどこの記事とリンクするできごとが、最近ありまして、12月から関わっている20代の男子と話している際に、強く「自己責任か?社会的責任か?」を感じました。
その男子はこんなことを言ってました。
「子は親を選べない、どんな親で育つかは自分では選択できないから自分の責任ではない。」
「だけど、どんなに不遇な環境でも不幸になるだけが人生の道ではなく、自分や周囲の力を頼って切り開いていく人もいる。」
「今の自分が置かれている状況は、自分だけのせいじゃないけど、自分のせいもある。」
彼をサポートする立場の人はこう言います。
「一般の考え方ややり方を分かってくれて、支援する側に頼ってくれるならサポートできるが、こちらのサポートが彼が本当に臨んでいるのかも変わらないし、彼自身がどうなりたいかも見えないので、どう手を打ったら分からない。」
為末大さんの記事中にこんな一文が登場します。
日本には特徴があります。ある決められた人生の型がありそれに従っている間に起きた出来事には社会責任の考えが適用されるという特徴です。つまり、様々なサポートがありカバーしてもらえる。一方、その型を外れた途端急に自己責任の考えが強くなります。みんなと同じ人生を生きている間は社会責任で、人と違う人生を生きたら自己責任という分け方です。
その型が時代の変化により成立しなくなり、急に国家も社会も、人それぞれ違う人生を生きてくださいと言い出して混乱しているのが現在ではないでしょうか。他方、社会の仕組みもいまだに型を前提としているので、それを自由型に変更しようとして各所が頑張っていると私からは見えます。
型に沿って今までやればよい場合もあれば、型を自覚し大切なことを念頭に置きつつ、柔軟に対応していく状況もあるということ。
資本主義経済が発展するとともに、サービスの均一化・平均化がされて誰でもある程度のモノ・コトが提供できるようになった。
それは、教育や福祉も少なからず同様に思える。
今自分の置かれている環境で求められるのは、為末大さんが言うように、
「自己責任を強めつつ、社会的責任の範囲を広げること」
それは、最終的には社会的責任(本人の自己責任ではない状況)でカバーできるからこそ、当事者が自分事として生きて挑戦できる環境をつくることではないかと思っていて、その環境も常に変化し最適化をする必要があると感じています。
【日筮】
【本日の晩酌】
休肝日。
おわり。