2022.03.17 【2171日連続投稿】
昨日から『人を助けるとはどういうことか』(著:エドガー・H・シャイン)を読んでいる。
現在、1章が読み終えたところである。
しばらく今日読んだ箇所から一部引用し、コメントをする形で書いていきたいと思っている。
医師やセラピスト、ソーシャルワーカー、そしてあらゆる種類のコーチたちは、最善と思って行った支援が、なぜか失敗に終わった経験をしたことがある。私はさまざまな組織でのコンサルタントやマネジャーへのキャリア・コーチとして、彼らが持ちかけた問題に解決策を与えることが多い。そして、あとになって気づくのだ。私の助言は役に立たなかった上、クライアントは私が提案したことを実行できないし、実行しようという気もないだろう、と。また、コンサルタントをしていて、こんなことがよくあるの思い出す。グループ・ミーティングで誰かが不適切な行動をとっているとき、私が介入してそれを指摘すると、助けになったと、かなり感謝される。しかし結果として、そうした行動が全く変わらないことに気づくだけなのだ。
p.24~25 『人を助けるとはどういうことか』(著:エドガー・H・シャイン)
人から助けを求められたときには誰もが、その時に持ち合わせている知識や情報を駆使して、最善を与えようとするが上手くいかないのはなぜか?
それは日々私もぶち当たっているところである。
相手を支援する立場としての「理解」とクライアントからの「信頼」が成り立ってはじめて、上手くいくと思っている。
だからはじめから上手くいくことを前提としていることが大きな勘違いで、謙虚に相手を知り、相手に自分を知ってもらうことこそ、大きな一歩ではないかと思う。
本日も初めてのクライアント(利用見学者)と会う機会があった。
時間の半分は、クライアントを知るための時間に当てたがまだまだ分からないことばかり、本人からの話だけでなく周囲が本人をどう見ているかも貴重な情報である。
まだまだ人を助けるとはどういうことかという本書のタイトルの問いを自分の中でも問い続けていくことだろう。
【日筮】
【本日の晩酌】
休肝日。
おわり。