2022.10.01 【2370日連続投稿】
仮説を立てるという言葉に最初に出会ったのは、私が中学3年時に課された卒業論文だったと思う。
たしか立てた仮説は、「牛乳を飲んでも身長は伸びない」であった記憶がある。
身長が日本人の平均から約10㎝低い私は、中学生の当時も低かった。
当時サッカーをやっていて、身長の差がプレーに出ることもしばしばあり、昼休みには体育教員室に置かせてもらっていた牛乳を飲みに行くという日課も一時やっていた。
しかし、あまり効果はなかったように思っていたのだろう。
当時の自分の内から湧いた問いから生まれた仮説だったのだろう。
仮説を立てて、その仮説を実証するために、実験したわけではないが本やら研究論文を読み漁った。
結果「身長を伸ばすのは、たんぱく質であり牛乳に含まれるたんぱく質は殺菌のための熱処理時にほとんどが失われている可能性が高く、牛乳を飲んで身長が伸びるの効果が確実にあるとは言い難い」という結論を導いた気がする。
今思えば、自分に都合のいい情報だけを集めて書くことができるこの方法だったなと感じる。
しかし、仮説を立てる時に、自分のふと思っていることを「問い」に置くのはかなりいい線を言っていたと思う。
日々の仕事でも、「なぜ上手くいかないのだろう?」など思う人が大半なのではないか?
小さなきっかけでも、「問い」を作ることはできる。
その問いを問いで終わらせるのではなく、仮説まで持ってくるとその仮説を検証しさらに問いに置き換えるというサイクルが生まれる。
仮説を立てるのが難しいのであれば、自分の内にある小さな問いを「丁寧に観察してあげる」ことだ。
その問いは、怒り・ストレス・悩み・葛藤の中にあるかもれないし、上手くいった成功・褒められた経験の中にあるかもしれない。
純粋な問いがそのままあるのではなく、様々な感情を辿って自己の感情と事実を切り分けていく中にポイントが見つかってくるので、そこが問いになることが大半ではないだろうか?
中学生の時の私は「身長が低い」ことから生まれる劣等感から以下の行動をしたのだろう。
問い:牛乳を飲んでも身長が伸びないのでは?
仮説:牛乳を飲んでも身長は伸びない
検証:卒業論文を書く(文献から情報を集める)
上記の行動が私にどの程度の価値があったのかと言えば、検証で得たことから劇的に身長が伸びることに繋がりはしなかったが、仮説を立てて検証することで「考えて、検証する楽しさ」や「思考を深めていくためのフレーム」を学んだことは間違いないと思っている。
何か上手くいかないと思っている方は、問い⇒仮説⇒検証⇒問い...とやってみるのは、自分が変わっていくきっかけになるのではないだろうか?
おわり。