2017.01.13 【298日連続投稿】
子どもは感情が豊かで本能で生きている。だから、毎日キラキラしていて楽しい毎日を送っている。
大人は、いつの間にか子どもの頃のような本能を大切にしなくなる人もいる。
社会的な役割や立場、利害などで生きるようになっている。むしろそれすら気付かなくなってしまっている。
大人になって、いわゆる社会の常識と自分の気持ちに素直になることは水と油に近い部分がある。
それに気づいている人は、楽な時もあれば苦しい時もある。
大人と子どもと分けることに違和感を感じつつも、イメージがつきやすいと思ったので敢えて、分けました。外見ではなく精神的な話です。
本能や気持ちを大切に生きるか?
常識的な自分で生きるか?
このようなイメージをテーマに書き始めました。
しかし、今は全く別な感覚でいます。
初めはみんな自分の気持ちを大切に生きていたと思うんです。
食べたい時に食べ、
泣きたい時に泣き、
寝たい時に寝てたのだと思います。
少なくとも私自身はそうだったと思います。
いつしか、ふっと一番最初に湧き出てくる気持ちより大切にしたいものが生まれた時から少しずつ変化していったのではないかと思います。
自分の気持ちを大切に生きていたら、
親に怒られたのかもしれませんし、
友達に嫌われたのかもしれませんし、
好きだった人から振られたのかもしれませんし、
自分の気持ちを大切に生きていたら傷ついたことやもっと大切にしたいものが見つかったのかもしれません。それが例えば「できるだけ周りに合わせて生きていく」という選択をだったとしても、それがその時のその人にとって大切なことだったのだと思います。
だから、大人が自分の気持ちを大切にしていないとは思いません。
人によって大切にする考え方や方法が異なるのだと思っています。
自分の中だけでも複数の考え方や方法があって、迷っている状態の人もいるのかもしれません。
後から後悔したとしても、その時その場の判断は自分の気持ちを大切にしているはずだと思います。
自由に生きる。自由を選ぶ。
この言葉を使うことができるのは、何かの枠や制限を知っている人感じている人なんだと思います。
のびのびと生きている子どもが「自分は自由だなぁ〜」なんて言わないと思います。大きくなって中学生、高校生、大学生、社会人になった時に「あの頃は自由だったなぁ」と思うのだと思うのです。それは、思い通りにならないことや自分の気持ちを大切にした時に何かの不幸があったり、生きずらさを感じたり、何かに囚われている自分に気付いた時だったりして初めて「自由」がその人の中に生まれるのだと思います。
何が言いたいかというと「枠や制限がない所に自由なし」ということです。
自分の気持ちを大切にすること。
やりたいことをやって生きる。
好きなことで生きていく。
これらが自由な状態とは言い切れないと思いました。
むしろ、迷いに迷っている人が自由な状態なのかもしれません。
そう考えると、私は簡単に自由がいいとは思わなくなりました。
悩みや苦労が自分を助けてくれることもありますし、苦しい経験があったから、人と繋がれることもあります。
自分が置かれている状況は常にコインの表と裏のようなものではないかと思うのです。
色んな枠にや制限を自覚・認識した上で枠や制限を広げていこうと生きることが僕が思う自由に近いような気がしています。
おわり。