名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜

2017.04.28  【403日連続投稿】

 

 『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(著:渡辺京二×津田女子大学  三砂ちづるゼミ)という本を読みました。

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

最近読む本は、私がブログを毎日書くきっかけになった井上淳之典さんがやられている寺子屋塾でオススメされた本と言いますか、寺子屋塾に行って知った本ばかりを読んでいます。寺子屋塾に行くと、机の上にポンと何気なく本が置いてあります。偶然にもその置かれている本が今の自分が考えていることを深めるための一助になったり、気になってしまうものばかりで、ついつい私はすぐAmazonでポチってしまうのです。

今回のこの本も、同じくビビっと読みたいと思ってポチッとした一冊です。

 

この本は、津田女子大学の三砂ゼミ生が卒業論文に取り組む過程の中で、渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』という本を読んだことがきっかけで、女子学生10名ほどと渡辺京二さんがそれぞれの学生さんの卒業論文テーマを軸にお話をする機会を1冊の本にまとめてあります。

 

対話形式で書かれているので、渡辺京二さんの人柄が色濃く表現されてありますし、読みやすいなぁと思いながら読みました。読み始めて1週間で2回読むことができ、今回記事に書こうと思いました。1回読んですぐに、2回目読んでしまったのは、私にとってはあまり経験がないことで、それだけ読み深めたい気持ちがあったからこそなんだと思います。

 

今回も、1記事にまとめることはせずに気になるところを数記事に書いていきたいと思います。

 

本書の中で渡辺京二さんが女子学生に向けて言っていたのは、「無名の人生に埋没するのがよい」ということだったのではないかと、私は思います。

 

そのことが最も表現されている箇所を本書より引用します。

〜中略〜(自己実現しなさいというスローガンは、100人中80人自己実現できない人間がいて当然だ、というスローガンになるわけであります。)

そもそも自己実現なんて言い出した人たちは、特に女性を念頭に置いて、いままで社会に抑圧された人間を解放したい、そういうところから自己実現ということを言っているんでしょう。人間は封建的なしくみやいろいろなしがらみから自分が押し殺されている。そいういう自分を解放してやりたい、そんなふうな大変そうな動機から、自己実現なんてことを言っているんでしょう。しかし、それは実は非常に冷酷な要求で、そういうふうになれない80%の人たちは、おまえはだめだと言われているに等しいんです。だから、私は自己実現なんてできないわ、と落ち込んで、死んでしまいたいと、なってくるやつがいるわけです。自己実現なんていうのは、エリートのバイアスがかかった非常に過酷な要求なんです。

 あのね、最初から自己実現されてるんだからさ、その自分に沿って生きていく、それでいいんです。自分の持って生まれた性質を殺すことなく生かしながら、周りと調和するためにはそれをどういうふうに修正していくかという知恵を得ながら、人の間で生きていく、それだけでいいんです。

 人の上に立って有名になったり、特別な才能を発揮するような人間を基準において、自己実現なんて言われたら、一人一人の人間に強迫観念を植えつけていくことになる。中学だけ出て、上の学校には行かない、あるいは高校だけ出て上の学校に行かない、というような人も今でもいると思いますが、そういう人は最初からそんな野心は持たないで、自分は平凡でいいんだ、自分は好きに生きるだけでいいんだと思ってることが多いからいいんです。でも、大学教育は今、半数以上を占めている。その半分以上の若者に自己実現しなさいなんて言ったら、これはたまらんですよ。

 ですから、人間というのは、簡単に言ったらもう学問なんかしなくたっていいわけなんです。芸術なんてわからなくたっていいんです。自分が取り巻いている自然、四季というものを十分に感じられる人間になること。何も盆栽を作って庭に並べろとか、自分なりのガーデンを作れとか、そんなことじゃありませんよ。そういうことが好きな人はやりゃあいいんだけど、毎年流れゆく四季、それから自分の町を取りまいているいる佇まい、あるいは空の色、あるいは四季折々に咲く花、そういう中で生きているという喜びを感じるということですね。

 今、町ということを申し上げましたが、たとえば昨夜皆さんとイタリア料理の店に行きました。僕はああいうお店が好きで、よく行って若夫婦と仲良くなっているんですけど、自分が暮らす町にそういう店が何軒かある。あるいは町のなかの川が流れるきれいな場所があって、その佇まいが大好きなんだ。小さい時からその場所が好きだというふうな、そういう自分の生活環境に対する愛着のようなもの、自分が住んでいる町というものに対する喜びを感じる。それは何でもないことですが、非常に大事なんです。働いて、たまの日曜日には有名なお店に行く、あるいは好きな場所を眺める。そういうふうに自分を取りまいている町、あるいは自分を取りまいている自然環境、それの中で美しいとか、楽しいとかということが一番大事なんでございます。

 ところが、そういうものがだんだんと失われていっていることが問題なんで、大事なのは、自己実現とかヘチマよりも、そういったものを取り返すということです。それが自己というものを全うするということなんです。自分が住んでいる地域が楽しい、そこが好きな場所になれば、住んでいる人がいるので、この町に住んでいる人々が好きだなあとなってくる。そういうものを作っていくことが大事です。自己実現とかヘチマよりも、そんなことがずっと自分を幸せにしてくれるんです。

 

おわり。