名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.526 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第11章 -風景とコスモス-⑤〜

2017.09.08  【536日連続投稿】

 

 ヒューブナーは言う。「日本人自然が好きだ。ヨーロッパでは美的感覚は教育によってのみ育み形成することが必要である。ヨーロンパの農民たちの話すことといえば、畑の肥沃さとか、水車を動かす水量の豊かさとか、森の値打ちとかであって、土地の絵画的魅力についてなど話題にもしない。彼らはそうしたものに対してまったく鈍感で、彼らの感じるものといったら漠然とした満足感にすぎず、それすらほとんど理解する能がない有様なのである。ところが日本の農民はそうではない。日本の農民にあっては、美的感覚は生まれつきのものなのだ。たぶん日本の農民には美的感覚を育む余裕がヨーロッパの農民よりもあるのだろう。というのも日本の農民はヨーロッパの農民ほど仕事に打ちひしがれていないからだ。」。ヒューブナーはオーストラリアの貴族であり、かつメッテルニヒの腹心だったという外交官である。いったい彼は自国の農民についてどれだけのことを知っていてこういう断言をしたのだろうか。また、「肥沃な土壌と雨と太陽が仕事を半分してくれる」ので、日本の農民は戸口で寝そべって美しい風景を楽しんでいるなどと、どんな知見に基づいて書くことができたのだろうか。しかしこれが全部与太話だとしても、彼が前引のように感じたという事実は残る。彼は、自分が実見した富士山麓の美しい村々のたたずまいに幻惑されたのかもしれない。だが当時の日本の村のたたずまいには、自然美の生活の重要な一部としてとりこんだ暮らしを直感させるような、何ものかがあったことはたしかだ。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』p.452~453

 

おわり。