2018.02.28 【706日連続投稿】
親に愛され親を愛しいている幸福な者は、目の上にもよく愛されるのではないだろうか。そういう人こそ、自分の親が間違ったことをしていると思えば、「それはおかしいよ」と言えるのではないだろうか。そういう人こそ、主君が間違ったことをしていれば、勇気をもって諫言することができるのではないだろうか。親に諫言するのに怯えを感じる者が、主君に諫言するのに、怯えを感じないでいられるだろうか。
親に怯えずに、しかし失礼にならず諫言できる人は、多いだろうか、少ないだろうか。そういうことは、本当に好い親子関係が前提でなければできないように思う。そして私は、本当に好い親子関係を取り組んでいる人は、実に少ないと思う。そしてそういう人なら、危険を冒してでも、目上の人に自分の考えをしっかりと、しかし失礼にならないように言えるのではないか、と考える。
安富歩『生きるための論語』p.152〜153
目上の人に対して諫める意見を言うことのみならず、「こんなこといっていいかな?」「失礼にならないかな?」と思うこと全般に言えることだと思う。それは「その人との関係性」である。良い関係性だから言えるし、言えるからこそ良い関係性だと思います。そもそもどうでもいい人に諫言するなんてことはないです。
その人のことを思うなら、「おかしいことは言う」ことは愛になりうるのかもしれません。
ただ、現実なかなかこれがすぐにできるかどうかは難しいと思います。私自身、難しいです。
だからこそ普段からの関係性が大切なんでしょうね。
おわり。