名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1442 〜矛盾の時代をいかに解いていくか〜

2020.04.06 【1473日連続投稿】

 

命も大切だが、経済活動がストップすることで失われてしまう命もある。

 

こっちを立てれば、あっちが立たず。

 

そんな時代をいかに乗り越えるか。

 

まずは問題をしっかりと自覚してから。

 

過去にも同じことが起きていたとしても、今ほど経済が壊れた時の怖さがある世の中はなかったかもしれない。

 

何が大切なのか、大切なものを本当に考える時代でもあるのかもしれない。

 

実は、こんなことはソクラテス荘子ブッダの時代、すなわちヤスパースが「枢軸の時代」とよんだ紀元前6世紀頃には、だいたいわかっていたことだった。

かれらはめんどくさい議論や学習をするよりも、人間には事態に応じた知恵があればいいのだと教えてくれた。しかもすべての出来事は、善悪であれ、貴賎であれ、都鄙であれ、たいていは表裏の関係にあるということも断言してくれた。ただ、このような達観をもっていた人物の考え方の大半は宗教や心の問題になっていた。そしてキリスト教イスラム教などの一部の宗教をのぞいて、実践面から遠のいていった。

それに、かれらもまったく見えていなかったこともあった。それは産業革命と国家による地球分割と資本主義の肥大化という出来事である。これはわからなかった。こういう極端な体験をしてみるまでは、われわれには宗教でも解決できないことがあるということが見えなかった。こういうことがかなり劇的にわかったってきたのは、ヨーロッパではエリザベス一世の、日本では信長のころだ。ニ人はたった一歳違いの関係にある。エリザベスがお姉さんである。

何が見えなかったのかというと、「社会の矛盾の大きさ」がわからなかった。そしてこれに対応していくことが良くも悪くも「近代の体験」というものになっていた。

しかし、近代の体験を知って矛盾の大きさを克服するには、次の二十世紀の百年だけではどうも足りなかったようだ。何しろ二十世紀最初の半分はニ度の世界大戦を起こしていたのだし、そのあとは資本主義と社会主義とが冷たい戦争やっていた。あるいはまた、“第三世界”が近代を追体験し、そうでなければ飢餓と差別と圧政とが渦巻いていた。それもスターリン時代がそうであったように、各国とも外からよく見えないようになっていた。最近になってやっと、あれこれの矛盾がずらり横一線にならび、みんながうーんと唸るようになったばかりなのである。

それでもこれで、とりあえずは問題群がだいたい揃ったはずだった。ところがまだとんでもない伏兵が待っていた。二十世紀を爆走しているうちに、われわれ自身の思考体質とか行動体質のようなものがだいぶん変質してしまっていたのである。

問題群は出揃っているのに、問題を解く力が変質してしまっていたのである。そして、これが二十世紀がわれわれに残したアンチョコのない宿題になったのである。

 

松岡正剛『知の編集術』p.39〜41

 

おわり。