2017.06.22 【458日連続投稿】
昨日の記事を書いている時(正確に言えば、本の一部を引用している時)に、感じたことを書こうと思います。
昨日の記事
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本日のつれづれ no.449 〜池田晶子『無敵のソクラテス』-流行らすことは偉いのか- 〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ
【色んなことは相互関係によって成り立っている】
昨日の記事では、クリエイターやコピーライターが流行をつくって大衆を動かしており、そそのかされる大衆は哀れだなということを言ってることに対して、ソクラテスが「そもそも大衆がいなけりゃ、君たちは存在すらしてないんだよ」って一言で一蹴している箇所があります。
これはそもそも、ほとんどのことについて言えることであって、つい当たり前のように過ごしている自分がいるなぁと思いました。
今は教師をしていますが、そもそも子どもが学校に来なければ、子どもがいなければ教師なんて仕事はない訳です。色んな商品を売っている会社だって、消費者がいなけりゃ成り立たないんです。それなのに、与える側はついつい相手より上に立っているような感覚になってしまうことが時にしてあるんではないかぁと思いました。
そもそも色んなことが相互に存在するからこそ、あり得ることなんだと思えば、見えてくる世界は変わりそうだなと思いました。
【一つの基準で良し悪しを図ることは、ドツボにハマる】
再び、昨日の記事に関していうと「新しさ」の基準だけで物事をみてると、「絶対的によいもの」を見過ごしちゃうよってことをソクラテスが言っていました。
「新しさ」だけでなく、「面白さ」「かっこよさ」「綺麗さ」「好きか嫌いか」「はやさ」「高さ」など沢山の基準がありますが、一つの基準で見てしまうと優劣が生まれます。「新しいか新しくないか」という具合に、二つに分け、「じゃあ、どっちがいいかな?」という思考が生じやすくなるのではないかと思います。それって、端的に言えば物事を「良いか悪いか」と見てしまうことになってるのではないかと思うのです。
でも、本当は人はもちろん物事にも色んな側面があって一概に判断できないことが沢山あるのではなだろうか。一つのことでみるのではなく、色んな基準でみてみると物事っているのは色んな角度から見えて、また自分が見える世界が変わるんじゃないかって思いました。
おわり。